ゆるい職場で働く、瞑想的会社員生活

ストレスフリーに生きる方法を模索する会社員です。平穏を愛し、瞑想的に日々を過ごしています。

勉強は「やらなきゃいけないもの」って思ってない?私が勉強を失敗した、たった1つの理由と、その対処法とは。

 

現在引きこもり親のすねかじりマンである私は、

英語をたくさん勉強したにもかかわらずなぜ英語をペラペラ話せないのか?

また、どうしたらできたのか?

それについて分析してみました。

 

ちょうど今、大学受験/資格受験/英語の勉強をしているけど

「勉強が楽しくない」

「むしろ苦しい…」

そんな方に読んでもらい、自分に置き換えて考えてほしいと思っています。

 

 

 

ユニクロとか楽天の社内共通語って英語なんだって!」

「英語ができないとお先真っ暗だよ」

 

私は中学生のころ、そう親に言われ素直にこう思いました。

 

「全然英語分かんないよ、どうしよう?!」

「そうだ、外国語科の高校に行こう!」

 

無事受験に合格し、高校に通って、たくさんの英語の授業を受けて、

英語でプレゼンしたり、ディスカッションしたり、英語合宿や短期留学をしたり。

普通科の人より3倍くらいは英語に触れていたのではないかと思います。

 

英語ができるっていう定義が人によってさまざまだと思いますが、

私の中の英語ができるっていうのは、

”コミュニケ―ションが気持ちよくできること"

”ジョークが言えるくらい意思疎通ができること”

高校3年間でそれができるようになったかって?

できてねーです!ごめんなさい!!

 

 

私は英語が好きとか海外が好きとかそういった理由じゃなく、

「英語ができないと生きていけなくなる」

こういった理由で英語の勉強に取り組んでいました。

 

そして高校で英語を学びました。

 

外国語科にくる子って、基本みんな海外ドラマとか好きで、

なんとなーく海外にあこがれてて、日本から出ていきたい的な、

そういう子が多いんです。外国の人とたくさん話したいよーっていう人が。

そんな中で私は、海外ドラマに興味ないし海外にあこがれてもいないし

日本で生きていく気満々だった。

「英語話せなくて生きていけるならそれがいい。」

そういう人でした。

相手が外国の方で、日本語がそこそこ話せるなら日本語で話したい。

ALTの先生にも、よく日本語で質問して「?」って顔されました。

 

 

高校での成績は比較的よかったほうだとは思います。

成績は、準備ができていればとれるものだから。

でもわたしが思う英語って、準備なしにはじまるものなんですよね。

じゃないとコミュニケーションとして気持ち悪くないですか?

 

「あなたの趣味はなんですか?」

「ゲームです。」

「あー、休日はなにしてますか?」

「ゲームです。」

(ゲームしかしてないんですね、ってどう言うんだろう...…わかんないや)

「えーと、Game is amazing...haha」

 

いやなんかこう、違うじゃん。

コミュニケーションって、

相手の反応に反射でかえしていくものだから面白いんじゃん。

なんだこれ、全然できないじゃん。会話ってもっと楽しいものじゃん。

っていうモヤモヤがたまっていきました。

 

私自身完璧主義なきらいがあるので、

恥をかくことが怖かったっていうのもあります。

発音が悪いと笑われるんじゃないかとか、

文法が違うかもしれないから発言したくないとか。

また、がんばって伝えようとしても、伝わらないのがかなしかったり。

学問的な英語に集中しすぎて、

コミュニケーションとしての英語に集中できなかった。

 

一方で、高校の友人は、外国の方と楽しそうに話している。

私は、外国の方と英語で話すのが苦しいのに。

そういう劣等感も感じていました。

彼女は思ったことをその場で言えるのに、どうして私はできないの?

どうして私は、相手(英語話者)が言ったことを即座に理解できないの?

そう感じていくようになりました。

 

 

そして、英語がどんどん嫌になってきたとき、

あることに気付いてしまいました。

「英語ができなくても余裕で生きていける・・・」

ということに。

 

とにかく、英語から逃げたかった。

私が英語ができないのは、高校から始めたからだ。遅かったんだ。

私もちいさいころから英会話やっていればできたんだ。

そういう言い訳をたくさん積み重ねて、英語から逃げました。

 

もちろんこれらの言い訳は、じぶんに都合よく解釈し、作り上げた嘘です。

それまで特別な環境にいたわけではないけど、高校からまじめに英語を学習して、

楽しくコミュニケーションをとれるようになった子もいましたから。

 

 

それからは、英語への意欲が下がる一方。

大学は英語からかけ離れた学部を受けました。

今も英語の勉強はしていません。

 

 

なぜ私は英語ができなかったのか?

 

私はこれにやっと気付きました。気付くまで3年もかかりました。

気付くまでにDMM会話をしてみたり単位を落としたりニートになったりしました。

 

私が英語をできなかった理由は、始めるのが遅かったわけでも、

勉強方法が間違えていたわけでもありません。

英語学習の最高の環境にいたとおもいます。

なぜ私は英語を習得できなかったのか。

 

「英語ができないと生きていけない」

そういった強いプレッシャーがなくなったからです。

そして、「英語ができなくても生きていける」とはつまり、

わたしが英語を勉強する上での主要な目的が消えたことを意味しています。

 

私は昔から自分にプレッシャーをかけて、短期集中型で結果を出してきました。

せっかちなわたしにとっては、

結果を出すにあたって費やす時間は短ければ短いほど気持ちのいいものです。

学校のテストではそれで十分でした。

英語検定のときにもそれで十分だった。

しかし、みなさんお分かりのように、それが必ずしも成功するとは限りません。

 

コツコツ毎日誠実にできるならそれが一番だと思います。

私もそれができる人間だと思っていました。

だから、受験や国家資格取得を目指す際にはそのように心掛けていた。

でも、わたしって、怠け者なんですね。

強いプレッシャーがないと動けないんです。

たとえば、締め切り。たとえば、成績評価。たとえば、お金という報酬。

「これをしないと後々大変ですよ」というプレッシャーが私の原動力だったんです。

 

しかし、

コツコツ毎日誠実に何かをするには、強いプレッシャーは邪魔になります。

プレッシャーは、ストレスと同義だから。

ストレスを抱えながら毎日同じことに取り組む日々は、地獄です。

 

英語学習のとき、受験勉強のとき、国家資格取得のとき。

最初は、「これをしないと後々大変ですよ」というプレッシャーが作用します。

もちろん熱心に取り組みます。後々大変なことになると思っていますから。

 

しかし、どちらも長期計画でした。

勉強以外する時間がないわけではありません。

「これをしないと後々大変」という根拠を探し出す自分がいました。

人間は、楽なほう楽なほうへと向かっていくものです。

「これしないと後々大変」であっても、「生きていけないわけではない」

そうと分かった瞬間、集中が解かれます。

「なぜこんなストレスを抱えながら、

生きていくのに必要なわけでもないことを続けなくてはならないのか?」

そう思ったら、そこで終わりです。

慢性的なストレスを抱えて生きていくことほどつらいものはありません。

慢性的なストレスは、複利で増えていくもんです。

 

そんな私がもし、また英語を学習しようとするなら。

”英語ができる”のハードルをものすごく下げて取り組み始めます。

 

ブログを書いていて今更気づきましたが、

「気持ちよくコミュニケーションができる」というのは、

日本人同士でも容易ではないこと。

「あれっ全然ノリ合わないな?」ということはざらにあります。

わたしの英語のハードルはものすごく高かった。

だから、「英語でアニメについて語れるようにする」とか。

なんなら「挨拶できる程度」でもいいかな。

とりあえず、できそうなことをできるようになってから、

「なんだよ、英語ってやればできるもんだな」という認識を植え付ける。

そして、「ちょっと楽しいじゃん」と興味を持たせる。

そうやって、勉強に対する”義務感”を、”興味”へ移行させていく。

英語を勉強する主要な目的を、「興味があるから」にする。

 

そのうえで、英語ができないと生きづらい環境に身をうつす。

というのも、どんなに興味があっても、

学びが日常に溶け込んでいないとアウトプットが継続しません。

自然にアウトプットできる。気づいたらアウトプットしていた。

そんな環境に身をうつします。

 

たとえば、リアルなところだと、ワーホリとかかなあ。

それか無一文で、シンガポールに1か月滞在してみるとか。

お金があると、英語を話さなくてもお金を渡せばどうにかなってしまう。

お金がないと、交渉せざるを得ない。

 

それはハードルが高い!って人には、英語が活用できるアルバイトをしてみたり。

外国の方が多く来店する観光地や六本木とかで働くのが良さそうですね。

業務で使う会話をどう伝えたらいいのか、

勤務のたびに試行錯誤できてすごくいいと思います。

 

それ以外にも、手帳に「DMM英会話 30m」って書いて実行したり、

友人と一緒にパブリッシュバーに行く約束をしたりして、

自分にプレッシャーをかけること。

その際の注意点は、プレッシャーを次回に持ち込まないこと。

 

「DMM英会話 30m」がちゃんとできたら、記録して褒めること。

もしそれが達成できなくても、次に手帳に書くときに、

「DMM英会話 1h」にしないこと。

パブリッシュバーに行って、もし外国の人と友人になれなくても、

とりあえず行った自分をほめること。

反省はとってもいいことだけど、次回の目標を繰り上げたりしないこと。

そうして、学びを自分の習慣にしていくのがいいと思います。

 

 

 

いつも気持ちだけではじめようとするんです。

DMM英会話をはじめようと思った時もそうでした。

 

興味があることがらでの失敗って、ちょっとうれしかったりするじゃないですか。

その失敗を励みに、何倍にもがんばれたり。

でも、私のように義務感で勉強しようとする人は気を付けてほしいんですが、

義務感を原動力にする勉強で失敗すると、すごくへこむんですよね。

失敗をきっかけに、その事柄から逃げたくなるんです。

 

「なんでこんなことやんなきゃならないんだよ!」

「こんなの勉強しても意味ないよ!」

そう思ったら、もう何にも得られなくなります。

なぜなら、あなたの主要な目的がその勉強で達成できないことがわかってしまったから。

 

最近の偉い人はみんな、口を揃えて

「好きなことをしろ」

って言いますよね。

 

それはつまり、

学ぶ理由は「好きだから」にしろ

ってことだと思うんです。

 

何かを学ぶ目的が、「やらなきゃいけないから」というのは、

「やらなくても大丈夫」になったら学ぶのをやめてしまうというのを意味しています。

それで得られるのは付け焼き刃の知識に過ぎず、

「好きだから」学びを継続している人には到底かなわない。

そういった経験は、誰もがあるのではないでしょうか。

 

「好きだから」追求する。

「好き」に終わりってありますか?

そんなに早く「好き」って終わらないと思うんですね。

「終わらない」から追求しつづける。

それは、結果として継続していることに繋がります。

 

オタクなみなさんなら分かると思うんですが、

好きなマンガを読み続けるのって、難しいことがありましたか?

それと一緒だとおもうんです。

興味が先行していれば、継続は容易いんですね。

だから、興味が大事なんです

 

 

ということで、

わたしはなぜ英語習得に失敗したのかをまとめましょう。

 

まとめ

 

私が英語ができない理由は、

主要な目的が義務だったから。

強いプレッシャーを必要とする目的だったから。

 

もしそんなわたしが英語を学習するとするなら、

 

①まずは、英語に興味を持つこと。

   "義務感"ではなく"興味"で勉強すること。

 

②そのうえで、やらざるをえない環境に身をうつすこと。

 それが難しいなら、自分にプレッシャーをかけて英語を日常に取り込み、習慣化していくこと。

 

③プレッシャーを次回に持ち込まないこと。

   義務感を抱くことにつながることはしないこと。

 

 

なにかにつまづいたときは、これを見て計画を立て直しようっと。

 

以上!わたしが英語ができなかった理由でした。

もし参考になったらうれしいです☺️

 

ちゃんちゃん。