ゆるい職場で働く、瞑想的会社員生活

ストレスフリーに生きる方法を模索する会社員です。平穏を愛し、瞑想的に日々を過ごしています。

消えてしまいたいと思うのは、自分が思い通りに動けない時。

バイト先でくだらないミスが重なった時。

就活の面接で落とされた時。

毎日のルーティーンができなかった時。

 

 

「ウワッ、わたしはなんでこんなにダメ人間なんだろう。」

「宇宙のチリになりたい……。」

 

 

そう思ってしまうあなた、こんにちは。

私も頻繁にそうなります。

この思考になると、終わりが見えなくて辛いですよね…

 

 

わたしという人間は、10個のタスクを問題なく遂行できても、

1つのタスクを失敗すると、自分のことを「ダメ人間」と捉えてしまう人間らしい。

というのを、最近痛感しています。

 

 

私自身と他人を比べてテンションが下がることはあまり無いんですが、

「理想の自分」

すなわち、

「想像上の、なんでもできる自分」

と比べてしまう癖があります。

 

 

イメージ上「問題なくできるだろう」と思ったものを

達成できなかった現実の自分に、失望してしまう。

 

 

そして、

「あぁもうほんとだめ。なんでこんなにできないの。クズ!」

って思っちゃう。

そう思ったが最後、みるみる気分が萎んでいってしまう。

 

 

こういう時は、もう何を思っても

「どうせダメ人間だから……」

の思考になってしまって、何の作業も手がつかなくなってしまう。

 

 

毎日欠かさず書いていた日記や、半年以上続いた筋トレも

スパッと辞めてしまう。

 

なんでこうなるかというのを冷静に考えると、

客観性が足りていないのが原因だと言えます。

 

  • 自分の力以上のことを「できる」と思い込んでいる。
  • 自分がどこかのタイミングで「ダメ人間モード」に入ることを計画に落とし込んでいない。

⇒ 客観視が足りていないため、発生する。

 

 

「想像上の自分」「理想の自分」

を諦めて、

「ダメなところもある、現実の自分」

を知っている人が、目標を達成できるのかもしれません。

 

 

「他の人よりデキる自分」は幻想に過ぎない。

「急に変わる」ことは不可能だ。

 

少しずつ、少しずつ。

1日一歩のペースで、歩んでいくしか無いんだなぁ。

 

せっかちな私には難しいけど、

こうして生きていくしかないんだなぁ。

 

 

 

沈んだ時は美味しいご飯とお肉を食べよう。

気まぐれクックさんとか、ゲーム実況とか見て、

頭すっからかんにしよう。

 

お風呂に入って筋トレしたら、

そのまま寝ちゃおう。

 

朝起きて、カーテン開けて太陽の日差しを浴びたら

「なんかいい日になりそう」って思えるよ。

 

 

今日も1日、よくがんばったね。

ゆっくりおやすみ。

 

野望はない。不満もない。心を大事に生きていきたいだけ。

ここのブログのタイトル、

「平均女子だけど、就活しない。」

 

ごめんなさい。嘘ついてました。

 

 

いや、言い訳させてください。

いわゆる御社の犬的な就活はしてないけど、

得られそうなチャンスはモノにしたい気持ちが強いんです、わたし。

 

1日インターンとか会社説明会とかは行っちゃってます。

 

伸びそうな会社とか、効率的に&効果的に働けてる会社は無いかな、

そんな会社あったら投資したいなって思って。

ごめんなさい。

 

そんな感じにしてたら、

インターンの流れでなぜか面接を受けてたんですよ、私。

コミュ力と明るさは人一倍らしくて、人事の人に気に入られてしまって。

(まあ人手が足りて無いんだろうね)

 

 

そして、今日、最終面接でした。

いわゆる会長面接。

 

 

今までの記事見てもらってたらわかるように、

わたしは生きる上で、わたしの現在の心を大事にすることを第一優先としてます。

 

そのためには素直でいることが必至なんです、わたしにとって。

 

つまり、

嘘つけないんだよね………!

 

 

「就職活動どうですか?」

 

「(就活しなくてもどうにでもなると思ってるから)彷徨ってます。なんかどうにかなるかなって。」

 

「なんていうかあなた、深く考えてないのね。あ、長所としてね?」

「うん、ストレス耐性ありそうね。」

 

「(察し)……あはは、物怖じしないねとはよく言われます。」

 

 

「うんうん。それで、」

「結局あなたは何がしたいの?」

 

今思えば、ここで

「御社で働きたいです。」

っていうのが正解だし、

相手もその言葉を求めていたんだと思う。

 

しかしわたしの脳内には、

 

働きたく無いなあ。

週5 × 8hで働きたく無いなあ。

 

それしか無かったなあ。

 

だから、あの、皆さん安心してください。

わたし、就活してないですよ。(?)

 

 

 

わたしは、人の話を聞くのが好きだし、

相手を楽しませるにはどうしたらいいかなって考えて実行するのも好きだけど、

自分の話をするのが好きじゃないんですよね。

 

理解してくれる人って少ないから。

 

 

ご縁がなかった、ある企業との面談のフィードバックでは、

「あなたの対応に受身な姿勢が見られたため、お祈りします。」

って言われました。

 

 

それで気付いたんですけど、

わたしは、人の話を聞いてからじゃないと私の話をできないんです。

 

詳しくいうと、人の話を聞くことで

「この人はこういうことに興味ありそうだな」

「この人はこういう話がしたいだろうな」

っていう指標を得ないとアプローチできないっていう意味です。

相手主導のコミュニケーションなんですね。

そりゃ受身なわけだわ。

 

 

そして、そのコミュニケーションを通じて判断する。

これからも関わっていきたいか、否か。

私を受け入れてくれる人か、否か。

 

 

私にとって人と話す目的は、これだけなんです。

 

・私を気に入ってもらうこと。

・その人から何かを得ること。それは無形有形問わず。

 

 

 

企業との面接って、新卒採用の段階だと、

ポテンシャル採用ですよね。

それが苦痛なのかも。

 

「私はあれができる、これができる。」

「だからあなたの企業で働けるよ。」

 

の方が、断然やりやすい。

そして働く中で、愛着を沸かせればいいじゃない。

就職を希望している段階から、愛着をもつ必要はない。と、思う。

 

 

 

 

企業だって欲しい人材は言ってるし、

「何ができる人を求めてるか」の指標は出てる。

そう言った点では、アプローチできそうじゃんって思うけど、

「ポテンシャル」ってあまりに定義が曖昧すぎる。

 

それに対して効果的なアプローチをできないのは、

私が素直すぎるのと、なんとかしてその会社で働きたい!っていう野望が無いせいだなって。

おもいました。

 

 

 

まあ言ってもね、3社しか受けてないし、

その中の1社は記念受験なんでなんとも言えないけど、

 

私は割合どこでも楽しさを見出して生きていけるし、

仕事なんて有り余るほどあるし、

人に好かれる自信もあるから、

なんつーか、就活やっぱやらない気がします。

 

就活って、

この心構えで通る気がしないんだもん。

 

って言っても、就活ってチャンスだからみんながみんなそうじゃないと思いますけどね!

 

 

仕事が欲しいならアルバイトから採用っていう手もあるし、

無料の斡旋エンジニアスクールにでも行けばいいんだよ。

って思っている現在。

 

 

私は、負け戦はしたくないんだよなあ。

無駄に傷を抱えるのはリスクに過ぎないと思ってるから。

 

そして、無駄な苦労もしたくない。

楽しいことを先延ばしにもしたくない。

 

 

これだけだ。

年収1億稼ぎたいとかいう野望はないし、

今の生活にだって不満はない。

 

分かってるんです。

野望や不満がないと、なにかを成し遂げられないこと。

 

だから、私自身、野望や不満を持っていないこと対して不安を抱いている。

こんなんで私大丈夫なのかなあ、って。

 

 

野望や不満がある人は、それを誇りに思ってほしい。

そう思えるものがあること自体、向上心があるということだから。

少なくとも私より、一歩先に進めているから。

 

 

野望、不満、不安。

それがあるから人は成長できる。

 

時代に取り残されない人になるためには、

この3つを忘れないことが大事なのかも。

 

 

私は、心を大事にして生きていきたい。

 

そしてそれは、私だけじゃなく、私の人の周りも幸せだと、より嬉しい。

関わる人みんなが幸せなら、それ以上のことはない。

 

それだけだよ。

 

 

就活かあ。どうしよう。

現在、もやもやしています。

 

 

以上、近況でした。

 

 

ライブって、楽しめない。

あまり大きな声では言えないが、ライブに行くと、なんか辛くなるなあ。

と、ひさびさにライブに行ってきて思ったので、これはその帰りの電車の中で書いている。

 

ライブって、楽しめない。

もちろんアーティストの演奏は最高なんだが、なんだかイマイチ楽しめない。

 

それには理由がある。

 

独特の団結力についていけないのだ。

(ex.手を挙げてみんな同じタイミングでリズムに乗ったり……)

⇒その結果、疎外感を感じる。

 

もうこれでしかない。ほんとこれ。

なんかすごい、ハブられている気分になってくる。

めちゃくちゃ寂しい。

 

私はすでにできているクラスのグループとかに自分から入っていけない人だったし、

今でもあんまり入っていきたくはないと思っている。

自分を装ってしまってつかれるから。

 

そんなわたしでも、クラスだったら「〇〇ちゃん!こっちおいでよー!」と言ってくれる人が1人はいるが、

ライブにはそんな人はいない。皆無である。

 

なんならマウント取られている気さえしてくる。

「アンタなんかが入ってこれると思ってんの?」

なんて声まで聞こえてくる。

 

なんだかわからないが、謎のプライドを感じるのだ。

 

もちろんこれは、私の被害妄想であり、

そんなことを考えてライブに来ている人はいないと思う。

 

しかしなんだかほんとうに、ライブって楽しめない。

むしろ辛い。

 

曲をひとりで聞いて浸っている方が、5倍くらい楽しい。

狭い部屋の中、ひとりで自分の世界に浸りたい。

わたしはそんな悲しい人間らしい。

 

これからは心底大好きなアーティスト以外のライブは行くのをやめよう、

付き合いでライブなんて行くもんじゃない。

高いし。

 

と、身を以て感じた1日だった。

 

 

閲覧ありがとうございました。

わかるわかる、って人がいたら嬉しい。

わかってもらえないのはさみしいし。

 

 

「これからどうするの?」←大学3年生が必ずされる質問。

「これからどうするの?就職するの?就活してる?」

 

このフレーズは、会う人会う人言ってきます。

大学3年生の人は「わかるわかる。」って感じだと思う。

 

特に、私がニートしてたっていうとめっちゃ言われる。

心配してくれているのか、干渉したいのか。

真意はわかりませんが、この質問はくるしくなります。

 

しかしこれについて、私は今確信してることがあります。

わたしはおそらく就活をしないんだろうということ。

私がもし就職したとして、

週5×8時間で働くという契約を結んだとして、

それは長続きしないのが目に見えてる。

もし続いたとしても、

 

「本当にこれでいいの?これはあなたがしたいことと合ってるの?」

 

この考えに支配されてしまう自分がいることもわかってる。

だから、就活はしないんだと思います。

たぶん。

 

確定事項として言えるほど自分のことを信じられないから、断言はできないけど。

わたしがわたしとして生きてきた中で、気付いたことがあります。

 

それは、「なんとなく」決めたことに対して心配性になりすぎること。

わたしは、確証をもって、自分で決断したい人だということ。

そして、自分の人生は自分でしか選べないこと。

自分が好きなように生きていくためには、好きなことをしないと叶わないこと。

 

当たり前なんですが、忘れがちな事実。

嫌なことを続けていっても、

それは短期的なもので収めておかないと、 好きなことより嫌いなことに費やす時間がおおくなってしまう。

 

わたしには、物心ついたときからずーっとなりたい像があります。

それは、どこでも生きていける人になる、というもの。

 

ここでいう「どこでも」とは、世界中で、という意味と同義。

「生きていける」のレベルは、衣食住に困らないというもの。

 

世界中で生きていけるようになるためには、最低限の英語は必要ですよね。

あとは最低限の歴史の知識とか、宗教のこと、文化とか。

だから歴史と英語は勉強します。

「生きていける」ようになるためには、コミュ力となんらかのお金を稼ぐ力は必須。

なんとかして大学生のうちに、お金を稼ぐ方法を確立させたい。

そう思って、色々挑戦しています。

 

どこでも生きていける人になったら、好きなように生きていける。

そのときやりたいことを即座にできる。

私のなりたい像は、会社勤めでは叶わない。

結論、就活は不要。

「みんなとちがう」という焦りに任せて、貴重な時間を無駄にするのはやめよう。

 

今は、大学卒業したらワーホリにでも行こうかと考えています。

ワーホリなら、お金がなくても生きていけるかなと思って。

日本もめぐりたいけど、

ワーホリしつついろんな国をめぐって、

「あ、ここで生きていきたい」っていうところを見つけたい。

今のわたしにとっては、これが一番大事。

 

 

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もののけ姫好きで、1年に1回は必ず見る」っていう会話から発展して、

今度、友人と屋久島にいくことになった。

そのときに見つけた民宿が、わたしの目指していたものでびっくりした。

 

公式サイト:風の散歩道 屋久島 鹿児島 熊毛郡 原 登山 民宿 宿 宿泊 格安 アウトドア 温泉 モッチョム 魚 釣 北河 式章

 

楽天トラベルでの口コミが、すごく、ドンピシャ。

訪れる人を、価格以上に幸せにしている。

そういうのが1つ1つの口コミから伝わってきて、感動した。

 

わたしも、自分がここで生きていきていきたいと思う場所で、

そこに訪れた人に対して幸せを届ける、そんなサービスがしたい。

 

そう思いました。

ほんとうにずっと行きたかったから、屋久島めちゃくちゃ楽しみ!!

その前にもののけ姫見よう、なんなら今日見よう。

 

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まったくもって話は変わりますが、

最近、やっと引きこもりを脱却を試みました。

その結果、こういったことが発生。

 

 

・体力不足で1日寝込む

・寝込んだ日、外に出れなかったことに対して罪悪感が芽生える

・自己嫌悪モードに入りかける

 

 

自己嫌悪は、習慣を身につけるときにすんごい大きい障害になるんですよね。

だから、自己嫌悪モードに入りかけたら

「アッやばい」「もっとハードル低くしよう」「じゃないと続かないぞ」

と思い直すことにしています。

あのね、ふつうに考えてほしいんだけど、

今まで週2とかでしか外に出ていなかった人が

気合いだけで週7で外に出れるわけないんですよ!

もっと自分に甘く生きていこうね!!

 

そこで、ハードルを低く設定しなおすために

なぜ外に出ないといけないか?について考えてみました。

 

・運動不足解消

・体力をつける

・したいことがたくさんあるのに、家に1日中いるとなにもできない

・そんで自分を責めてしまう(なんでなんもできないんだよ...)

 

以上の理由によって、外に出たいと思っています。

しっかしびっくりすることに、運動不足解消は家にいてもできるんですよね!!

エア縄跳びっていう、優秀な道具があるんです...。

1000円で買えるし家の中で使えるし全身運動で痩せられるし、最高。

 

 

ていうか、それを買わなくても普通に映画見ながら飛び跳ねてたらいいんじゃないか?

と思い、実践中。

いかに家から出ないでよくなるか、を考えるのは引きこもりには大事な思考ですね。

 

ということで、目的のうち2つは解消したと言っても過言ではない。

 

・運動不足解消

・体力をつけたい

 

問題は、下2つの目的。

 

・したいことがたくさんあるのに、家に1日中いるとなにもできない

・そんで自分を責めてしまう(なんでなんもできないんだよ...)

 

つまり、問題はだらだらスイッチから抜け出せないってこと。

「よし!やるぞモード」に入るスイッチを家につければ解消するはず。

 

・朝起きてすぐに顔を洗って、そのまま化粧をしちゃう(➡外に出ないともったいない!)

・起きてすぐ、外着に着替える(➡外に出ないともったいない!)

 

週7で外に出るためには、やっぱり段階を踏む必要がある。

週2⇒週3、週3⇒週4…っていう流れがね。大事よ。

焦りは禁物。

今週は週5で出れたから、それだけでもよくやってるよ自分。

なんならバイト始まって体力的につらかったはずなのに。

うんうん、よくやってる。偉いぞ、自分~!

 

 

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勉強は「やらなきゃいけないもの」って思ってない?私が勉強を失敗した、たった1つの理由と、その対処法とは。

 

現在引きこもり親のすねかじりマンである私は、

英語をたくさん勉強したにもかかわらずなぜ英語をペラペラ話せないのか?

また、どうしたらできたのか?

それについて分析してみました。

 

ちょうど今、大学受験/資格受験/英語の勉強をしているけど

「勉強が楽しくない」

「むしろ苦しい…」

そんな方に読んでもらい、自分に置き換えて考えてほしいと思っています。

 

 

 

ユニクロとか楽天の社内共通語って英語なんだって!」

「英語ができないとお先真っ暗だよ」

 

私は中学生のころ、そう親に言われ素直にこう思いました。

 

「全然英語分かんないよ、どうしよう?!」

「そうだ、外国語科の高校に行こう!」

 

無事受験に合格し、高校に通って、たくさんの英語の授業を受けて、

英語でプレゼンしたり、ディスカッションしたり、英語合宿や短期留学をしたり。

普通科の人より3倍くらいは英語に触れていたのではないかと思います。

 

英語ができるっていう定義が人によってさまざまだと思いますが、

私の中の英語ができるっていうのは、

”コミュニケ―ションが気持ちよくできること"

”ジョークが言えるくらい意思疎通ができること”

高校3年間でそれができるようになったかって?

できてねーです!ごめんなさい!!

 

 

私は英語が好きとか海外が好きとかそういった理由じゃなく、

「英語ができないと生きていけなくなる」

こういった理由で英語の勉強に取り組んでいました。

 

そして高校で英語を学びました。

 

外国語科にくる子って、基本みんな海外ドラマとか好きで、

なんとなーく海外にあこがれてて、日本から出ていきたい的な、

そういう子が多いんです。外国の人とたくさん話したいよーっていう人が。

そんな中で私は、海外ドラマに興味ないし海外にあこがれてもいないし

日本で生きていく気満々だった。

「英語話せなくて生きていけるならそれがいい。」

そういう人でした。

相手が外国の方で、日本語がそこそこ話せるなら日本語で話したい。

ALTの先生にも、よく日本語で質問して「?」って顔されました。

 

 

高校での成績は比較的よかったほうだとは思います。

成績は、準備ができていればとれるものだから。

でもわたしが思う英語って、準備なしにはじまるものなんですよね。

じゃないとコミュニケーションとして気持ち悪くないですか?

 

「あなたの趣味はなんですか?」

「ゲームです。」

「あー、休日はなにしてますか?」

「ゲームです。」

(ゲームしかしてないんですね、ってどう言うんだろう...…わかんないや)

「えーと、Game is amazing...haha」

 

いやなんかこう、違うじゃん。

コミュニケーションって、

相手の反応に反射でかえしていくものだから面白いんじゃん。

なんだこれ、全然できないじゃん。会話ってもっと楽しいものじゃん。

っていうモヤモヤがたまっていきました。

 

私自身完璧主義なきらいがあるので、

恥をかくことが怖かったっていうのもあります。

発音が悪いと笑われるんじゃないかとか、

文法が違うかもしれないから発言したくないとか。

また、がんばって伝えようとしても、伝わらないのがかなしかったり。

学問的な英語に集中しすぎて、

コミュニケーションとしての英語に集中できなかった。

 

一方で、高校の友人は、外国の方と楽しそうに話している。

私は、外国の方と英語で話すのが苦しいのに。

そういう劣等感も感じていました。

彼女は思ったことをその場で言えるのに、どうして私はできないの?

どうして私は、相手(英語話者)が言ったことを即座に理解できないの?

そう感じていくようになりました。

 

 

そして、英語がどんどん嫌になってきたとき、

あることに気付いてしまいました。

「英語ができなくても余裕で生きていける・・・」

ということに。

 

とにかく、英語から逃げたかった。

私が英語ができないのは、高校から始めたからだ。遅かったんだ。

私もちいさいころから英会話やっていればできたんだ。

そういう言い訳をたくさん積み重ねて、英語から逃げました。

 

もちろんこれらの言い訳は、じぶんに都合よく解釈し、作り上げた嘘です。

それまで特別な環境にいたわけではないけど、高校からまじめに英語を学習して、

楽しくコミュニケーションをとれるようになった子もいましたから。

 

 

それからは、英語への意欲が下がる一方。

大学は英語からかけ離れた学部を受けました。

今も英語の勉強はしていません。

 

 

なぜ私は英語ができなかったのか?

 

私はこれにやっと気付きました。気付くまで3年もかかりました。

気付くまでにDMM会話をしてみたり単位を落としたりニートになったりしました。

 

私が英語をできなかった理由は、始めるのが遅かったわけでも、

勉強方法が間違えていたわけでもありません。

英語学習の最高の環境にいたとおもいます。

なぜ私は英語を習得できなかったのか。

 

「英語ができないと生きていけない」

そういった強いプレッシャーがなくなったからです。

そして、「英語ができなくても生きていける」とはつまり、

わたしが英語を勉強する上での主要な目的が消えたことを意味しています。

 

私は昔から自分にプレッシャーをかけて、短期集中型で結果を出してきました。

せっかちなわたしにとっては、

結果を出すにあたって費やす時間は短ければ短いほど気持ちのいいものです。

学校のテストではそれで十分でした。

英語検定のときにもそれで十分だった。

しかし、みなさんお分かりのように、それが必ずしも成功するとは限りません。

 

コツコツ毎日誠実にできるならそれが一番だと思います。

私もそれができる人間だと思っていました。

だから、受験や国家資格取得を目指す際にはそのように心掛けていた。

でも、わたしって、怠け者なんですね。

強いプレッシャーがないと動けないんです。

たとえば、締め切り。たとえば、成績評価。たとえば、お金という報酬。

「これをしないと後々大変ですよ」というプレッシャーが私の原動力だったんです。

 

しかし、

コツコツ毎日誠実に何かをするには、強いプレッシャーは邪魔になります。

プレッシャーは、ストレスと同義だから。

ストレスを抱えながら毎日同じことに取り組む日々は、地獄です。

 

英語学習のとき、受験勉強のとき、国家資格取得のとき。

最初は、「これをしないと後々大変ですよ」というプレッシャーが作用します。

もちろん熱心に取り組みます。後々大変なことになると思っていますから。

 

しかし、どちらも長期計画でした。

勉強以外する時間がないわけではありません。

「これをしないと後々大変」という根拠を探し出す自分がいました。

人間は、楽なほう楽なほうへと向かっていくものです。

「これしないと後々大変」であっても、「生きていけないわけではない」

そうと分かった瞬間、集中が解かれます。

「なぜこんなストレスを抱えながら、

生きていくのに必要なわけでもないことを続けなくてはならないのか?」

そう思ったら、そこで終わりです。

慢性的なストレスを抱えて生きていくことほどつらいものはありません。

慢性的なストレスは、複利で増えていくもんです。

 

そんな私がもし、また英語を学習しようとするなら。

”英語ができる”のハードルをものすごく下げて取り組み始めます。

 

ブログを書いていて今更気づきましたが、

「気持ちよくコミュニケーションができる」というのは、

日本人同士でも容易ではないこと。

「あれっ全然ノリ合わないな?」ということはざらにあります。

わたしの英語のハードルはものすごく高かった。

だから、「英語でアニメについて語れるようにする」とか。

なんなら「挨拶できる程度」でもいいかな。

とりあえず、できそうなことをできるようになってから、

「なんだよ、英語ってやればできるもんだな」という認識を植え付ける。

そして、「ちょっと楽しいじゃん」と興味を持たせる。

そうやって、勉強に対する”義務感”を、”興味”へ移行させていく。

英語を勉強する主要な目的を、「興味があるから」にする。

 

そのうえで、英語ができないと生きづらい環境に身をうつす。

というのも、どんなに興味があっても、

学びが日常に溶け込んでいないとアウトプットが継続しません。

自然にアウトプットできる。気づいたらアウトプットしていた。

そんな環境に身をうつします。

 

たとえば、リアルなところだと、ワーホリとかかなあ。

それか無一文で、シンガポールに1か月滞在してみるとか。

お金があると、英語を話さなくてもお金を渡せばどうにかなってしまう。

お金がないと、交渉せざるを得ない。

 

それはハードルが高い!って人には、英語が活用できるアルバイトをしてみたり。

外国の方が多く来店する観光地や六本木とかで働くのが良さそうですね。

業務で使う会話をどう伝えたらいいのか、

勤務のたびに試行錯誤できてすごくいいと思います。

 

それ以外にも、手帳に「DMM英会話 30m」って書いて実行したり、

友人と一緒にパブリッシュバーに行く約束をしたりして、

自分にプレッシャーをかけること。

その際の注意点は、プレッシャーを次回に持ち込まないこと。

 

「DMM英会話 30m」がちゃんとできたら、記録して褒めること。

もしそれが達成できなくても、次に手帳に書くときに、

「DMM英会話 1h」にしないこと。

パブリッシュバーに行って、もし外国の人と友人になれなくても、

とりあえず行った自分をほめること。

反省はとってもいいことだけど、次回の目標を繰り上げたりしないこと。

そうして、学びを自分の習慣にしていくのがいいと思います。

 

 

 

いつも気持ちだけではじめようとするんです。

DMM英会話をはじめようと思った時もそうでした。

 

興味があることがらでの失敗って、ちょっとうれしかったりするじゃないですか。

その失敗を励みに、何倍にもがんばれたり。

でも、私のように義務感で勉強しようとする人は気を付けてほしいんですが、

義務感を原動力にする勉強で失敗すると、すごくへこむんですよね。

失敗をきっかけに、その事柄から逃げたくなるんです。

 

「なんでこんなことやんなきゃならないんだよ!」

「こんなの勉強しても意味ないよ!」

そう思ったら、もう何にも得られなくなります。

なぜなら、あなたの主要な目的がその勉強で達成できないことがわかってしまったから。

 

最近の偉い人はみんな、口を揃えて

「好きなことをしろ」

って言いますよね。

 

それはつまり、

学ぶ理由は「好きだから」にしろ

ってことだと思うんです。

 

何かを学ぶ目的が、「やらなきゃいけないから」というのは、

「やらなくても大丈夫」になったら学ぶのをやめてしまうというのを意味しています。

それで得られるのは付け焼き刃の知識に過ぎず、

「好きだから」学びを継続している人には到底かなわない。

そういった経験は、誰もがあるのではないでしょうか。

 

「好きだから」追求する。

「好き」に終わりってありますか?

そんなに早く「好き」って終わらないと思うんですね。

「終わらない」から追求しつづける。

それは、結果として継続していることに繋がります。

 

オタクなみなさんなら分かると思うんですが、

好きなマンガを読み続けるのって、難しいことがありましたか?

それと一緒だとおもうんです。

興味が先行していれば、継続は容易いんですね。

だから、興味が大事なんです

 

 

ということで、

わたしはなぜ英語習得に失敗したのかをまとめましょう。

 

まとめ

 

私が英語ができない理由は、

主要な目的が義務だったから。

強いプレッシャーを必要とする目的だったから。

 

もしそんなわたしが英語を学習するとするなら、

 

①まずは、英語に興味を持つこと。

   "義務感"ではなく"興味"で勉強すること。

 

②そのうえで、やらざるをえない環境に身をうつすこと。

 それが難しいなら、自分にプレッシャーをかけて英語を日常に取り込み、習慣化していくこと。

 

③プレッシャーを次回に持ち込まないこと。

   義務感を抱くことにつながることはしないこと。

 

 

なにかにつまづいたときは、これを見て計画を立て直しようっと。

 

以上!わたしが英語ができなかった理由でした。

もし参考になったらうれしいです☺️

 

ちゃんちゃん。

 

 

GLIM SPANKYの良さを語る。

今日は対して音楽に詳しくない引きこもりが、

GLIM SPANKYというバンドの良さを語っていきます。

最高にイイんですよ、GLIM SPANKY!!

 

皆さんはGLIM SPANKYを知ってますか?

 

1960 - 70年代のロックブルースを基調にしながらも、それらのルーツを自身の世代感というフィルターを通し、独自の感性と現代的な感覚で昇華させたナンバーによって新しさを感じさせるサウンドを鳴らし、幅広い世代を唸らせる新世代の男女2人組ロックユニット[1][2][3][4]。デビューしてすぐにテレビ局プロデューサーのYOU-DIE、いとうせいこうリリー・フランキーみうらじゅんといった音楽好きの業界人に絶賛される[3]。また、野宮真貴佐野元春桑田佳祐[4]加山雄三[5]といったミュージシャンからも絶賛された。

 GLIM SPANKY - Wikipedia

 

デビューしてすぐに絶賛されるほどの実力の持ち主ってことが

分かりますね。

 

 

日本で暮らしてたら一回は聞いたことあるんじゃないかな?

っていうのも、映画ワンピースの主題歌だったんです。

最近はCMでも流れていますね。

 

youtu.be

 

ア――、ほんとイイ。やる気めちゃくちゃ出てくる。

何がいいって、このユニークな声と歌唱力と歌詞ですよ。

ユニークさこそがアーティストの証だと思っている私にとっては、

GLIM SPANKYは最高にアーティストです。

 

GLIM SPANKYの魅力1

➡ 松尾レミのユニークな歌声

 

これはもう聞いてもらったらわかりますが、特徴的な歌声をしています。

雰囲気としては、椎名林檎さんの声に似ています。

誰の新曲か知らずに聞いても、「あ!これ、あのひとだ。」ってわかる声。

 

中毒性があり、セクシーなかすれ声なんです。

ロックやブルースに、これ以上ないぐらい合う歌声。

それでいて、思いっきり歌ってくれる。

また、ハッキリと発音をしているので、意識せずとも歌詞が入ってくる歌声です。

歌詞カードを見ずとも何を伝えたいのかがクリアに伝わってくる。

 

後述しますが、GLIM SPANKYの歌詞はすごくアツいんですね。

「おい若い奴ら!そんなんで満足してんじゃないだろうな!?」

「もっとのぼりつめられるだろ、オイ!!」

そういったことをストレートに歌ってくれるので、

「あ~~、こんな私でもいけんじゃない?やっちゃう?やっちゃう!?」

ってなってくるんです。

 

びっくりするくらい心へダイレクトに響く歌声の持ち主、松尾レミさん。

彼女のすごいところは、自分の魅力を最大限に表現できているところです。

 

歌詞はすごくいい。でも、歌声もすごくいい。

松尾レミさん以外の人が歌っても、ここまで心には響いてこないんですよね。

自分で歌っても全く気持ちよくない歌は初めてかもしれない。

気持ちよくないっていうのは、GLIM SPANKYの世界観が壊れるって意味で

気持ちよくないだけで、もちろん曲は最高です。

 

そのうえ、サウンドと歌声が、1+1=2じゃなく、

お互いがお互いの魅力をより引き上げていってる。

すべての要素がかけ合わさって、はんぱなくいい曲が生まれてる。

 

いつも私のケツをたたいてくれて、本当にありがとうございます...!

 

 

GLIM SPANKYの魅力2

➡ ドストレートな歌詞

 

歌詞を文にすると、曲で聞くより響かないのですが、

それでも私が最高にイイと思った一部の歌詞を引用したいと思います。

『』は曲名です。

 

『褒めろよ』

古いやつらの古いやり方を

批判すんのは簡単だろう 

褒めろよ

 

褒めろよ / GLIM SPANKY - 歌詞ナビ

 

 『怒りをくれよ』

関係ない顔した

事なかれ主義の腑抜けが

陰でニヤニヤ

人のこと何を笑ってるんだ?

お前らさ笑われるのは

湿った心は最悪の燃えないゴミだぜ

 

怒りをくれよ / GLIM SPANKY - 歌詞ナビ

 

 『時代のヒーロー』

腐った奴が嫉妬する

そんな奴ほど笑わせたい

上手に話せないだけで

きっと同志なんだろう

 

夢見る馬鹿でいいよ

敵も引き連れていこう

皆じっと待ってる

もっと刺激ある毎日を

切り開いて見せてくれ

あとに続くよ

 

時代のヒーロー / GLIM SPANKY - 歌詞ナビ

 

『話をしよう』

人を前にして強がって

隠すままでは届かないなら

 

ただ思ってるだけじゃ

何も無いことと同じさ

ほら

気取る言葉並べないで

大袈裟なくらいの言葉にしよう 

 

話をしよう / GLIM SPANKY - 歌詞ナビ

 

『ワイルド・サイドを行け』 

国籍

生きる答えが違うことは関係なくて

人に弾かれた者同士も

同じ孤独で繋がれんだ

仲間とこじ開ける未来は絶景さ

 

貫こうぜ

世間から突き出した杭のまま

常識無視して

何度でも打たれていよう

 

ワイルド・サイドを行け / GLIM SPANKY - 歌詞ナビ

 

『焦燥』

2秒前の自分でさえ

もう過去のものとなっている

知らないうちにこんなに早く命を

消費していることに気づきもしないや

 

矛盾を盾にした大人たちは

本当が何か嘘が何かってことを忘れてる

苦しい今になれた僕らは

真実はどこにもあるってことを知ってる

 

焦燥 - GLIM SPANKY - 歌詞 : 歌ネット

 

あいまいな歌詞ではなく、確信を突くような歌詞。

それでいて、前向きな歌詞。

大志を抱く我々に寄り添ってくれる。

「あいつ?気に食わないよな。だから、糧にしようぜ。」

「出た杭は打たれんだよね。まあそんなん気にしないでいいんだよ。」

そう言ってもらえる気持ちになれる。

 

歌詞はボーカルである松尾レミさんが書いています。

 

辛いことがあったとき、やる気が出ないとき。

GLIM SPANKYの曲を聴くと、

「こんな私でも野望抱いてもいいんだよな。」

「あー、今日もやったろか!」

って自然に思えてくる。

 

だから朝、外出準備しながら聞くのがオススメです。

夜に聞いたらアドレナリンが出て、寝れなくなっちゃうので。笑

 

あ、ちなみに、アマゾンプライム会員の人はアマゾンミュージックで

上記引用した曲ぜんぶ聞けます!最高かよ!ありがとう!

 

最後にyoutubeのリンクを貼って終わりますね。

みんなで聞こうぜ、GLIM SPANKY!!

そんで野望をかなえたろ!!

 

youtu.be

 

youtu.be

 

youtu.be

「こんなこともできないで、お前何ができんの?」

 

「自分ってなんでこんなクズなんだろう...。」

 

って、自分を責めたこと、一度は皆さんあるんじゃないでしょうか。

自分で自分を責めるって終わりがなくてとっても辛いですよね。

私は自分を責めすぎて、引きこもりになりました。

自責心が強い方は、引きこもりへの一歩を歩んでいるかもしれません。

 

「自分を責めたことなんて一度もない!」

そんなあなたには理解しがたい記事になるであろうことをここに記しておきます。

 

 

さて。

自責癖がある皆さん、おはようございます!

私はFラン大学に通っている大学3年生、

自他ともに認めるドクズ野郎です!

 

私がどんくらいクズかというと、大学に行く日数は多くて週3。

平均週2です。履修状況は週5で入ってますが、行ってません。

ちなみに今日も昨日もおとといも大学に行ってません。クズですね。

必修科目の単位?もちろん落としてます。わぁ、クズですね!

バイトもせずサークルにも入らず、親のすねをかじって生活しています。

びっくりするくらいドクズですね!

 

じゃあお前は家でそんなに何をしてるんだって言われたら、

簡単に言うと、現実逃避です。

 

私はアマゾンのプライム会員なので、映画もアニメも見放題。

家で遊べることをたくさんしてます。

生産性なんてカケラもないです。

 

 

なぜわたしがこんなにひどい生活を送っているのか?

それは、ニート生活を体験し、未だ抜け出せないからだと思います。

 

大学2年生のとき、私はクソヒキニートでした。

 

4~6月、家にいる。

7月、テストだけ受ける。

8~11月、家にいる。

12~1月、テストを受ける。短期バイトをする。

1~3月、家にいる。

 

テストの前日くらいだけ大学に行って、

それ以外は家でゲームして寝てる。

それが許されたのは、国家資格を言い訳に引きこもっていたから。

 

最低でしょう?

なぜ私は人の好意を踏みにじって平気で生きていられるのか、不思議でした。

そうやって、引きこもりながらも、毎日自分を責めていました。

 

 

私は、大学入学当初、国家試験取得を目指していました。

理由は、大学がFランだったから。

家が貧乏で、親孝行したかったから。

国家資格を取得できれば、生活を困らせることはない保証をゲットできる。

そう思い、ダブルスクールしていました。

奨学金からお金を払って。

今となっては皮肉ですね。

 

最初はとても熱意がありました。

私が受からなければ家庭はどうなる?

受からなければ、私は理想通りに生きていけないだろう。

そう思いつつ、必死に勉強していました。

また、勉強自体は苦じゃなかった。世の理を知っていくのは楽しかった。

 

苦痛だったのは、勉強時間を義務付けられること。

人間らしい生活を否定されること。

 

勉強は週40時間でも足らない。

週50時間はしろ。

GW?クリスマス?遊んでいいと思っているのか?

その日に勉強しないあなたは一生合格できない。

 

講師はそういうことを当たり前のように言ってきます。

 

え、マジで?頭おかしいんじゃない?

 

そう思いながらも、何よりも頼りの講師がそういうなら、

人間らしい生活をしているうちは受からないんだろう。

そう思うようになっていきました。洗脳ですね。

 

講師には、比較的褒められました。

勉強時間は少ないけど、お前なかなかやるやん、と。

筋いいぞ、と。

最初はうれしかったです。素直に喜べた。

でも最後の方は、その言葉も信じられなかった。

講師が私を褒めるのは、学費を搾り取るためだと疑うようになった。

そのうえ、自分が取った点数も信じられなくなった。

 

講師は本気で言ってるのか?どうせ適当では?

勉強時間が少ないと、合格できないんでしょう?

点数?まぐれでは?ここは直前に勉強したから取れただけだろう?

こんなのではまだ足らない。

こんなので合格できるわけない。

 

それだけが頭を占めていた。

週50時間勉強できない自分を日々責めて、一日7時間勉強しても、

達成感は得られなくなっていった。褒められなくなっていった。

 

それでも資格は魅力的だった。

私がFラン出身だろうが年収が確保されてる。

就活もガチでしなくていい。

その後の将来は保証されている。

だから、精神がやられようと、資格を取らなきゃならない。

 

それ以上に、こんな想いが頭を占めていました。

ここまで月日とお金を費やしたのに、

もし資格を取れなかったらどうなるんだ?

 

いつも不安だった。

Fラン出身、資格も取れない。

じゃあ何ができるの?

何の結果も出せない、ごみクズ野郎。

そんな烙印が押されると思って、資格勉強から逃げることもできなくなった。

資格取得すらできない私が、社会に出られるわけがない。

そうやって、自分で自分を四面楚歌にしていた。

辛かったなあ。

 

でも、そんな精神状態で、勉強なんてできるわけないんですよ。

これは持論ですが、勉強って、興味をもって、ワクワクしながらするとすぐ身につく。

でも、興味が持てず、不快感を感じると、全然身につかない。

そのことをわかってたはずなのに、私は逃げられなかった。怖かった。

 

逃げられないから、資格取得を言い訳にして、引きこもっていた。

 

外は怖かった。

自分がクズなのを思い知らされるから。

友達は、私より楽しそうに人生を送っている。

社会で活躍できそうに見える。

資格取得仲間は、嘆いているだけの私より勉強して、

私より資格合格に近づいている。

 

みんな立派。

だけ何にもできてない、クズ野郎。

 

そうやって、ニートになっていきました。

バイトはできなかった。もし、資格取得にまた熱意を持ったとき、

バイトが邪魔になったらめんどくさいから。

 

でもね、マジで人って、2,3か月外に出ないと、なんもできなくなります。

人は楽な方、楽なほうへと向かって生きているんですね。

勉強をしなくても、バイトをしなくても、大学に行かなくても、生きていける。

そのことを経験してしまった。味をしめてしまった。

 

そうなると、外に出る意欲は激変します。

「わたしは社会で、生きていける。」

そう思えるほどの自信は、2,3か月のニート生活で容易に失います。

そうやって人はニートになっていくんだと思います。

これが私の体験した、ニート、そして引きこもりのなり方です。

 

 

ニートになる人って、自分に厳しい人なんですね。

自分の逃げ場を失くすほど、自分を責めちゃう人。

生きるっていうハードルが高すぎる人。

 

こんなこともできないで、お前は何ができるんだ?

 

そうやって自分を責める癖がある人は、要注意。

ニートへの一歩を踏み出している可能性、高いです!

気を付けてください!

 

 

とは言っても自分を追い詰めちゃうって人、いらっしゃると思います。

 

そういう人にオススメなのは、

自分が何に不満を感じているのかを文字にすることです。

 

もやもや〜っと頭の中で悩みを抱えていると

「なんだかよくわからないけどストレスを感じてる」状態ですが、

文字にして、自分のストレスは何かを明確にするとスッキリします。

 

その上で、自分はどうこのストレスと向き合っていくのか?へ発展させる。

ストレスの根源から距離を置くのか、

メリットデメリットを考慮した上でこれからもそのストレスと付き合うか。

 

そうやって発展させると、解決策が浮かんできて、だいぶ楽になります。

 

文章化するのも手につかない人は、なんでも聞いてくれる知人に

オチのない話なんだけど聞いてくれる?って言ってお喋りすると👌🏻

話すだけでスッキリしますし、

話すことで自分が何にもやもやしていたのか分かったりします。

 

しかし知人に相談するのって、勇気が必要なことがあると思います。

自分を許せない人にとっては、特に。

 

でも、これだけは覚えておいてください。

あなたが思うより、周りの人はあなたのことを責めてはないですよ。

むしろ心配してます。

 

ていうかもし酷く責められたら、その人とは縁を切りましょう。

ああ、この人は、打ち明けたのにもかかわらず、

私が辛い時は味方になってくれないっていうことがよくわかった。

それくらいの気持ちでいいと思います。

 

もし本当に辛くて、逃げ場がない人は、

私にでも言ってくださいね。

気軽に。

あなたの発言は私にとって負担にはなりませんよ。

 

 

 

 

こんなこともできないで、私はなにができるわけ?

 

それでもそう思っちゃうあなたは、恐らく、

立派に生きようとしてるんですね。

 

 

親孝行できるくらい、立派に。

友人に負けないくらい、立派に。

彼氏に見合うくらい、立派に。

誰もが認めてくれるくらい、立派に。

 

 

すごいことだと思います。

もうその思考が立派だと思います、私は。

でも、あ、やばい苦しい、ってなったらこのことを思い出してください。

 

 

立派じゃなくても生きていける。

 

社会的地位が高くて、お金もたくさんあって、誇れる人脈もある。

そしたら怖いもんなし!幸せまっしぐら!

そんな気がしますよね。

 

でも、仕事してなくても、お金なくても、誇れる人脈がなくても、

生きようと思ったら生きれるもんですよ。

すごいですよね、人って。

つまり三大欲求さえ満たせば生きれるんですよ。

食べて、寝て、性欲を満たす。

シンプルに考えて、生きるために必要なのはそれだけなんです。

お金とか仕事っていうのは、付加価値に過ぎない。

 

食べて寝て性欲を満たすのにお金が必要か?

 

必ずしも必要じゃなかったりします。

人望で全てを満たせる人もいるでしょうから。

 

あなたが送りたい人生に、その"立派さ"は、ほんとうに必要なものですか?

 

人生に迷ったら、そう考えてみましょう。

苦しくなったら、考えてみましょう。

 

わたしの人生にとって必要なものは、

苦しみの上に成り立つ社会的地位の高さではなく、

ストレスの少ない生活でした。

 

 

あなたの人生に、ほんとうに必要なものはなんですか?

 

 

 

あとね、偉人と比べるのは向上心があって素敵だと思います。

でも偉人の語ることすべてが本当だと思っちゃいけませんよ。

偉人ってみんな、見栄張ってんです。着飾ってるんです。

 

現在を生きる偉人もみんなそうです。

みんながみんな、女性関係がうまくいってて、人格者で慕われてて、才能に溢れてる、なーんて思ったら大間違いです。

 

そう考えてみると、誰かと比べるのってあんまり当てにならないんですよね。

あなたと全く同じ土台に立っている人はいないから。

あなたがどう生きていけばいいかは、あなたにしかわかりません。

 

 

たまには肩の力抜いて、

長い人生について考えてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

あ~~、私もバイト応募のメール返信して、履歴書書かなきゃなあ。

 

それでは!お互い頑張りましょうね!